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2009年9月アーカイブ

感動の源泉(2)

感情のしくみ

 

既述したように、心理学では激しい感情の動きを「情動(emotion)」と呼ぶ。感情もemotionだが、脳科学では意識に上るものは「感情」と呼んでfeelingをあて、意識に上らない脳内過程を「情動(emotion)」として区別する。また、その上で脳科学では「感情(feeling)」を、"不確実で与件情報の少ない状況で個々の人間に生じるメカニズム"と解釈する。

 

そうした感情の基本は、驚き(surprise)、喜び(happiness)、怒り(anger)、恐怖(fear)、悲しみ(sadness)、嫌悪(disgust)であり、心理学ではこれを基本6感情と呼ぶ。

 

これら六つの基本感情が単独で表出されることはなく、複数の感情が混ざりあった混合感情として表出される。感情研究者のプルティックは、感情を下表のように32種類に分類している。

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【図1 Robert Plutchikによる感情分類】

これら多様な感情はどのような過程を経て生じ、感動体験やある行為を引き起こすことにつながる一連の心理状態にどう作用しているのか。情動がどのような身体生理的反応によって引き起こされるのか。つまり、感情発現の仕組みはどうなっているか。

 

心理事象と生理事象をつなげて感情・情動メカニズムを具体的に説明していくのはなかなか困難であるとされ、感情科学の研究はこれまで立ち遅れていた。

 

このメカニズム説明の分かりやすいモデルとして"感情"機能を搭載したロボットの開発研究が注目できる。それは早稲田大学工学部機械工学科の高西淳夫教授の研究室にある、情動表出ヒューマノイドロボット「WE-4RII」である。

 

前にふれたように、人間の脳は3層構造である。それにならい「WE-4RII」の心理モデルをつくるにあたり情報処理機能の面から、知能、感情、反射の3層構造からなるシステムとしてとらえた。

 

つまり、こうである。

  • 脳幹(爬虫類の脳)   →反射
  • 大脳辺縁系(動物の脳)→感情
  • 大脳新皮質(人間の脳)→知能

 

そして、外部からの刺激に反応する情動を作用時間によって三段階に構造化し、情動作用時間の長い側から、学習・気分・ダイナミックレスポンスとして設定し、刺激に対して反応するロボットに心理状態の時系列変化を起こさせる。

 

さらにマズローの「欲求要因ヒエラルキー説(自己実現論)」にもとづく食欲・安全欲求・探索欲求からなる欲求モデルを導入して、欲求から行動をするようになっている。(図2参照)

 

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【図2:「WE-4RII」の感情モデル(高西研究室資料による)】

 

また工学的にいえば、WE-4Rの精神活動は、感情を生成する情動方程式、ロボットに個性を与えるための感受個性マトリックス、表出個性マトリックスで構成する心理モデルからなる。

 

これにより、入力された刺激で自分の心理状態(=感情)を経時的に変化させ、それを身体駆動系モデルに伝え、表情や顔色、体の動きなどで表現する。

 

情動方程式は「快-不快」、「睡眠-覚醒」、「確信-不確信」の3つの尺度軸からなる微分方程式で、電脳内の心理空間での感情の動き(情動ベクトル)を決定する。

 

加えてロボットに気分(ムード)を表現させるため、快度、覚醒度の2軸から構成される気分ベクトルを導入し、外部からの刺激によって少しずつ変化する快度、自律神経系として体内時計を組み込んだ覚醒度を備えることで、人間と同様の生活サイクルを持たせている。(図3参照)

 

この心理モデルでは、たとえば、嬉しくなったときは3軸のうち「快、覚醒、確信」の方に情動ベクトルが向き、怒られたときは、その反対に「不快、睡眠、不確信」へと情動ベクトルが向くことになる。心理空間は、「喜び、驚き、怒り、恐怖、悲しみ、嫌悪」の基本6感情に、ニュートラル状態の「通常」を加えた7種類の感情で区分けされており、そのときの位置によって感情の種類が決定される。(図4参照)

 

 

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【図3 感情マッピングモデル(同)】

 

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【図4 WE-4Rの心理空間モデル(同)】

 

多くの感情の動きは「快-不快」「睡眠-覚醒」の2軸で動く。それだけでは表現できないケースをフォローするものとして「確信-不確信」の軸がある。

 

「確信-不確信」とは、たとえば対象が確認できる昼間に突然殴られたら"怒り"を感じるが、それが不明な闇の中で突然殴られたら"恐怖"を感じる場合のように、殴ってきた相手に関する情報に「確信」があれば"怒り"の感情として判断されることとなり、相手が分からなくて「不確信」であれば"恐怖"となる。図4が示すように「快-不快」「睡眠-覚醒」という2軸の平面では、"怒り"と"恐怖"がオーバーラップしている部分があったが、「確信-不確信」という軸を加えることで、2つの感情が区分けできる。

 

かくしてロボットに入力された外的情報(刺激)が情報処理され、それにより決定したベクトルの位置方向が混合感情を生起し、それに対応した身体反応が出力されるのである。

 

ここで少し脱線すると、このように"感情"を備えたロボットは感動するのか、あるいはロボットが感動するということはどういうことなのか、ということが気になる。この問題はきわめて哲学的な問題で、当然手に余る大難問だから別にさわる必要もないのだが、参考として、心理学者の西平直喜による「感動の現象学的心理学」(青年心理29号金子書房1981年)という論文が目に付いたので紹介だけしておく。

 

ちなみに現象学とは哲学の一分野で、きわめて雑にいうと、普段の態度で無反省に確信されている(と思い込んでいる)ものごとをいったんカッコに入れて取り出し分析して見直すモノの見方である。

 

この論文のなかで、現象学者マックス・ミューラーの説く、1感覚的感情(/不快)2生命感情(健康/病気)3心的自我感情(真善美/偽悪醜)4人格感情(/)からなる感情4階層モデルのうち、心的自我感情が生じ、かつ統一的な価値に向かう感情を「感動」としている。

 

この定義は、感動を"興奮などの情動状態" に還元せず、普遍的妥当性を備えた価値へ向かう感情のベクトルでとらえた現象学的立場によるものである。また、主体から"統一的な価値"に向かうベクトル(感動)の成分は、対象における主体の知識水準と興味水準に分けられるため、こうした現象学的観点からの定義では、下図のように感動は力動的な概念として示される。

 

 

 

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つまり、ロボットでもこうした基本条件を設定してプログラムさえしておけば、「感動」は現象としては成立する。しかしそれが誰(何)にとって、いかなる意味を持つのかは全くの別問題である。ここから先の論議はさらに込み入ってくるから話を戻す。

 

この鉄腕アトムやドラえもんの実現につながるかも知れない"感情"を持つロボットの開発研究の状況については、それだけでも実に興味深い話だが、さらに詳しく知りたければ高西研究室のホームページを見てもらうこととして後は割愛し、ここでは、心理事象と生理事象をつなぐ基本的な機構原理と、心理空間における感情・情動のマッピング・イメージを大雑把につかんでもらうための紹介のみにとどめる。

 

ところで、先に感情科学の研究は立ち遅れていたとしたが、その大きな要因の一つとして、感情の発現はどうなっているのか、という問題について心理学では百数十年の長きにわたる論争があったいきさつがある。

 

論点だけをかいつまんでいうと、涙が出るから悲しくなるのか(末梢起源説)、悲しいと判断するため涙が出るのか(中枢起源説)の2説対立の議論である。サイエンスの世界では、こうした極めて基本的な問題が片付いていていないことが往々にしてあるが、この論争もそうした一つだった。

 

この決着は今日、情動は身体反応とその原因を認知することの両方から生じる、とする情動の二要因説(認知起源説)を有力とすることで落ち着いている。

 

この説によると、ある刺激があり、心臓の鼓動や冷汗などの交感神経系の生理的変化が知覚されたとき、われわれはその理由を自分を取り巻く環境の中に探り、その反応の理由が何であるかを判断したり解釈したりして、それ以降に類似した状況経験を、驚きや悲しみ、喜び、驚き、快・不快などの情動に帰属(ラベル付け)させて認知するようになるという。

 

情動が自身の認知に由来することを、カナダの心理学者、ダットンとアロンは「恋の吊り橋理論」という粋な呼び名の実験で説明している。

 

男性の被験者を、恐怖で緊張する高い吊り橋の真ん中と、そうした緊張が少ない安全な橋のたもとで待たせる。それぞれの被験者にサクラである若い女性が近づいていって電話番号を教える。そうすると、結果として吊り橋の中央で教えられた男性のほうが教えられた電話番号に電話をかける確率が高いことが分かった。すなわち、極度な緊張状況下で会った女性のほうに魅力を感じて惚れた、というのである。

 

要するに、人は緊張感のドキドキと恋のドキドキを勘違いしてしまいがちで、恋愛に発展してしまう可能性が高まる、というのである。このことは厳密に立証されている訳ではないが概ね正しいとされている。

 

遊園地のお化け屋敷で恋の告白するのが効果的だとする俗説も、こうした類いであろう。ただし、吊り橋理論で恋愛が発展した場合の多くは、長続きしないというのが通例である。そもそも恋愛はいくつかの条件の重なりに導かれ成立するものだからである。

 

また、興奮を起こすホルモンであるアドレナリンを服用させて、例えば映画をみて興奮や感動といった生理反応が生じた人は、その原因が直前に服用したアドレナリンの副作用だと知らされたか知らされなかったかによって、映画に対する感情評価が著しく異なることも確かめられている。

 

つまり、ドキドキ感(心悸亢進)の原因がアドレナリンの副作用であれば情動と映像との関連づけは無意味だが、アドレナリンの副作用について知らされていなければ映画によって自分は感動したとラベル付けしやすくなるからである。

 

だから、逆にいえば、こうした認知由来説にしたがうならば何らかの事前告知をすることが、生じた生理反応の原因認知の過程に少なからず影響を与えるため、感動体験を誘発させる可能性がある訳だ。

 

また、感動を自覚した場合の「感動のラベル付け」ということに話を向ければ、感動体験は、それが認知されて起こる生理反応が、しばしば覚醒をもたらすほどの強烈な衝撃のものであるため、過去の体験記憶のリストに照合した場合でもベスト上位を占めるほど強いものである。また同時に、それは快感情で修飾されたものでもある。

 

したがって、感動体験に関連する事物は往々にして、将来においても概ね好感をもって迎えられ、好んで選ばれる度合いが高い。

 

だから、感動体験をうまく演出することにより、消費も含めた人間の諸行動を誘導することが可能になる。たとえば、オリンピックやワールドカップのようなスポーツの祭典とマーケティングがきわめて密接に関わるのもそのためである。観戦の緊張と興奮による情動は、感動としてラベリング(認知)されやすくなり、その感動シーンの主役を演じた選手の着たユニフォームや愛用具などが選好されやすくなる。また、緊張・興奮状態下では、短期記憶が劣り長期記憶が勝るという説もあるが、これなどもブランディングやマインド・シェア戦略を展開する際にはおさえておく必要があるだろう。

 

裏返していえば、うかつに「感動」すると衝動買いをしてしまう可能性が高まるのである。

 

* * *

 

これまでの心脳と感動をめぐる話題の中締め的まとめと再整理を兼ねて、次回は、脳科学では「感動」はどうとらえているのかについてみていこうと思う。

                                                                         (・・・・to be continued