ホーム 感動ラボ 感動ラボ 感動のチカラ "集団思考"と"集団知性"

"感動"と"共感"が生み出す、「初音ミク」現象やネット上での"集合知"からのリミックス文化とは?

「三人寄れば文殊の知恵」というように、困ったときに他人の知恵や力に頼れるのはありがたいことです。今日のインターネットの普及は、時間や空間を異にしても、ブレーン・ストーミングや会議などの知的生産の共同作業を容易にしました。今日では、同席しているような臨場感のあるテレビ会議も可能なようです。

ところで、冒頭のふたつの言葉。よく似ていますが、まったく別の意味でつかわれます。"集団思考(groupthink)"は、集団合議で不合理または危険な意思決定が容認されること、あるいはそれにつながる、"悪しき空気"に支配された意思決定パターンのことをいい、集団浅慮の方が適訳の言葉です。一方の集団知性(Collective Intelligence)は、多くの人との協力や共創などの集団知的生産行為があたかも、その集団自体に知能や精神が存在するかに見える、知的形態のことです。

ユーザ個人の情報発信を可能にしたWeb2.0の普及以降、ウイキペディアやオープンソース・ソフトウェア開発あるいはGoogleやYouTubeのようなビジネスモデルによる、集団知性型の共創活動が盛んになりました。

目的やテーマ、コンテンツなどへの感動と共感から集団知性が組成され、そこに自然と生じた秩序の中で、アウトプットされる成果や作品は、より高度で精緻に洗練されていきます。その原動力は、松岡正剛式にいえば「"情報"は一人ではいられない」という欲求からの、利己性と利他性の混淆とうけとれます。

オープンアクセスなネット世界には、こうした営為以上にネット犯罪や、悪意・中傷、"荒らし""炎上"といった、脅威やトラブル遭遇のリスクも蔓延していますが、それゆえに、ユーザ自身の倫理あるふるまいと判断力が問われ、また、このことがネット世界のフリーダム性を確保する担保ともなります。

ところで、ベンヤミンが『複製技術時代の芸術』を著して七○年以上過ぎた現在、ICT時代の芸術文化は、膨大な数の無名の投稿者に担われ、芸術家と鑑賞者の壁のないリミックス・カルチャーとして、生成と増殖を繰り返しています。そうした営みを代表する事例のひとつが、当初、音声合成ソフトとして発売されたボーカロイド「初音ミク」を巡るパンデミックな文化現象です。

初音ミクを要約しておさらいすれば、ユーザが作成した楽曲やパッケージ・キャラクタのイメージ動画が、動画投稿サイトに次々と投稿されたことで人気に火がつき、リアル世界のヒットチャートに上ったり、ライブ・コンサートまで開いて、グローバル規模で大流行しました。また、開発元も、非営利や良識範囲内である限り、ユーザの創作・表現活動に自由度を許諾したこともあって、いっそうの盛り上がりとなったのです。

ネット用語で、仕事ではなく趣味で優れた作品を作る人を敬称して"職人さん"といいますが、この初音ミク世界を生成するのは、匿名の"何々P(プロデューサの意) "と名乗る無数の職人さんたちで、それを増殖させる力は、投稿サイトなどを視聴する仲間たちからの賞賛の数です。

つまり、世界中に自分を売り込みたいというのではなく、仲間から「すごい!」と賞賛されたい、という発信者-享受者間での共感と感動評価の交換だけが、初音ミクの熱い世界を構築しているのです。

ぼつぼつ、初音ミクの「職人さん」の中からも、楽曲CD化やメジャーデビューする人たちが出ているようですが、それは副次的なことで、本来は金銭利益が目的ではなく、むしろ、マズローの「欲求段階説」でいう、他者からの尊敬や注目を求める「承認欲求」に基づく営為と考えられます。

また、背景面として、匿名やアバターでふるまえるネット世界なら、誰はばかることなく安心して真情吐露した創作ができたり、本音の評定がしやすい、ということもあるでしょう。

こうしたN次的な創作の生成・増殖の事業形態に対して、「データベース消費」とか「評価経済社会」などとする見方もありますが、100億円以上とも試算される、初音ミクのリアルな経済効果やテクノロジー面に目を奪われるだけでなく、「集団知性」本来の原動力にある、感動や共感を動機とした利他性・互恵性のメカニズムこそ、見落としてはならないと思います。