感動の源泉 special

脳と経済

 

以前にふれたが、「神経経済学(Neuro Economics)」という脳と経済の関係を分析する研究や行動経済学(Behavioral Economics)と呼ばれる、新しい社会・経済の研究分野が関心を集めている。

 

これまでの伝統的な経済学(新古典派以降の経済学)が合理的経済人(Homo economicus)をモデルとして「人は利益に対し合理的判断しかしない」「市場は効率的にはたらく」とすることを前提に現象を解釈してきたのに対し、不確実な状況に直面した人間が最大の利潤を求める原則から外れて行動してしまう謎を、心理学や脳科学の見地から探る新しい経済学の潮流である。ここでは神経経済学の見方を簡単に紹介する。

 

世界の金融市場を大きく揺るがした米国サブプライム・ローン問題の直後に、"金融政策のマエストロ"グリーンスパン(前FRB議長)は、この原因について「バブル期を通じ人々を支配する幸福感はバブルが崩壊するまで払拭することはできない」とコメントした。

 

これを脳科学的にいいかえると、人間は不確実な状況下である選択をおこなう時に、ドーパミン神経系(報酬系回路)によってもたらされる幸福感(快感)の支配からのがれることはできない、となる。あるいは、バブル崩壊になだれ込んだのは、人びとがドーパミンの放出されやすい状況から逃れることが出来なかったことによる、となる。

 

脳科学の研究から、人間脳(大脳新皮質)の「前頭前野」でなされる理性的・合理的判断は、動物脳(大脳辺縁系)のドーパミン神経系などによる快・不快の情緒的判断にしばしば惑わされ、その結果として、将来得られる大きな利益より、目先の小さな利益を優先して行動する傾向があることが分かってきている。

 

前回ふれたことだが、この脳内"快楽回路"の作用は、当事者の生きざまにプラスにはたらけば「強化学習」として作用するが、マイナスに振れるとギャンブル依存症のような事態をもたらす。こうした見方をするのが神経経済学の立場である。

 

もちろん、この神経経済の考え方をめぐっては、現在、大きな議論が起こっている。

 

論点を先回って言えば、今日まで主流の経済学は、その根底に「選択の自由」と「制度設計」の理念をおいている。ところが神経経済の立場は、人間の無意識へダイレクトにアプローチしていくことになるため、自由意志を拭い去る可能性が強いことや、制度設計を必要とせず直接個人の心理的・生理的プロセスの中に問題解決の所在を求めるため、主流派経済学とは真っ向から対立する。

 

もう少し細かく言うとこうである。そもそも、これまで主流だった経済学は、個人の自由意思で選択された好ましいものを組み合わせて、最良の状態をデザインしていくことを妥当性評価の基準においてきた。 つまり、経済政策における経済配分のよしあしは、個人がある配分の仕方を別の配分の仕方より妥当性ありとして選択するかどうかで最終的に評価する。

 

いっぽうの神経経済学は、快楽を評価基準に考えるとともに、脳科学の知見に基づき、個人の選択と快楽は関連する脳の部位が異なるため"選択する好ましさ"を、区別して扱う必要があるとする。

 

要するに、主流派経済学の立場は個人の選択の自由を最大化していく制度設計を重視するが、神経経済学では快楽の達成の方を重視し、主流派のいう"個人の選択"は設計された制度などによる心理バイアスにとらわれるため、不正確だと主張するのである。

 

たとえば、人は医学的に悪いと知りながら喫煙をなかなか止められない。この喫煙行動のような健康上からの行動選択の誤りは、経済的な状況判断においても、多かれ少なかれ見られる。だから、個人の選択は基本的にアテにならず、いずれ神経科学の発展で快楽を脳から直接測定できるようになれば、"個人の選択"より"快楽の計測"による経済評価のほうが妥当性が高いというのだ。

 

このように神経経済学は主流派経済学とは異なるパラダイムを志向するため対立するのである。

 

ただ、経済学の歴史をふりかえれば、アダム・スミスが『国富論』(1776年)に先んじて、『道徳感情論』(1759年)を著していることからも明らかなように、合理性(理性)と非合理性(感情)との関係について研究してきた経緯があるため心理学と経済学はもともと一体のものであり、18世紀頃までは経済学者は心理学者も兼ねていたとみることができるといわれる。20世紀に入ってもケインズやウェブレンなどの経済学者が心理と経済との関係について繰り返し論じている。その後、経済学は合理的経済人(Homo economicus)を前提とした計量・数理科学的な側面が主流となっていったが、今日の認知科学の発展もあり、ふたたび経済学と心理学とを融合させて捉えてみることへの関心が高まった。

 

こうした傾向の大きなトリガーは、2002年度の米国心理学者ダニエル・カーネマンによる"認知心理学研究の知見を経済学に導入し、不確実性下における人間の判断と意思決定に関して新たな研究分野を切り開いた業績"を理由としたノーベル経済学賞の受賞である。カーネマンはこの研究から行動経済学を切り開いた。

 

余談だが、1997年に受賞した米国のロバート・マートンとマイロン・ショールズらによる"デリバティブ価格決定の新手法、ブラック-ショールズ方程式の開発と理論的証明した業績"は金融工学を確立させ、サブプライム・ローン問題をはじめとする世界金融危機のトリガーの一つとなった。高度な数理科学を駆使し合理性を徹底した金融工学、人間心理の非合理性を前提とした行動経済学、これらまったく正反対の立脚点にある理論がノーベル経済学賞の栄冠を得、かつそれらを生んだ国がやがて経済恐慌を引き起こすことになったことは、今からみると少し奇妙な思いにとらわれてしまう。

 

さて、行動経済学はその枠組みを認知科学によっているのに対して、神経経済学は脳科学を枠組みとした行動科学の立場をとる。大雑把にいえば、神経経済学は行動経済学にfMRIなどの脳神経計測や神経画像研究を組み合わせる方法に違いがある。

 

 

ニューロ・マーケティング

 

この神経経済学をビジネス応用する「ニューロ・マーケティング(neuro marketing)」というマーケティング概念が、ここ数年、最もホットな話題と議論を巻き起こしている。文字通り直截的に、脳科学の立場から消費者の脳の反応を計測することで消費者心理や行動の仕組みを解明し、マーケティング応用しようとする試みである。

 

たとえば、2004年に発表された米国ベイラー医大の神経科学者リード・モンタギューの研究チームによるコカ・コーラとペプシコーラの選好に関する実験が、この代表例として知られている。

 

コカ・コーラが好きな被験者に対して、ブランド名を伏せた場合と伏せなかった場合について飲用中の脳の活動を計測した結果、後者の場合にだけ前頭葉が活発に働いたことが観測された。また同様に、ペプシ派の人に実験を行ってみたところ、ブランド名を出した場合も出さなかった場合も、前頭葉における活動の違いが顕著にはみられなかった。そして実験の結論として、コカ・コーラの場合の方がよりブランド名の影響を受けているということがいえたというのである。

 

また、2008年に発表されたスタンフォード大学とカリフォルニア工科大学の共同研究では、商品の価格付けが脳活動に変化を引き起こすことが判明した。

 

21歳から30歳の20人の被験者に、ワインを毎回異なった値段を告げてから数回飲んでもらい、その時の脳活動をfMRIで測定した。その結果、ワインの価格が高くなると、主観的においしく感じたという意見が多くなり、経験による快を司ると考えられる中部眼窩前頭皮質の動きが活発化したことを示した。ところが、被験者に知らされていなかったが、数回飲ませたすべてのワインは同じワインだったのである。

 

つまり、被験者は同じワインを飲んでいても、高い価格のワインのほうがおいしいと感じるし、脳の働きからも楽しさや心地よさを司る部位が活発に活動しているということが明らかになったのである。

 

他にもさまざまな興味深い事例があり、それは類書にあたってもらうこととするが、とにかく、このような結果に対し、脳内のどの部位がはたらいているのか、その役割や相互結合関係はどうかなどについて調べながら、マーケティングやブランディング、マーチャンダイジングなど行っていくのが、ニューロ・マーケティングである。

 

もとより、マーケティングの目的は「顧客(消費者)を捉える」ことにある。 

 

それらターゲットへ向けたマーケティングのあり方には、経済学と同じく、次の対極的な2つの前提がある。1消費行動が理性的な意思決定になされるものか、2情緒的・感性的によってなされるものか、である。

 

前者はほぼ主流派経済学の立場に対応する一般にいうマーケティングである。すなわち、セグメンテーション→ターゲティング→ポジショニングを明らかにしていく分析検討である。つまり、統計科学等を駆使しながら現状分析による市場細分化や、ターゲット選定とターゲットニーズの把握をする。その上で適切なポジショニングを設定して具体的な施策を実行することである。

 

 

だからこの"主流派マーケティング"の方法は、消費行動には背景をなす環境条件があり、それによる必然性(因果性)に基づく合理的・理性的な判断から、商品購入などの消費行為が意思決定される、ことを前提としている。

 

特にWebマーケティングの世界では、商品別、事業別、顧客セグメント別などのプライオリティをパレート分析(ABC分析)し、アクセスログ解析からのユーザ行動調査と比較することで、ポイントターゲティングの集客力、訴求力の向上改善に効果をあげている。

 

しかし、具体的な顧客像の把握と新しいマーケットの創造という面では方法的に限界があり、それを補完するテクニックとして、"シーン消費""物語消費"を喚起するコンテクスト・マーケティングが関心を高めたことは、以前にふれた。

 

後者、すなわち、理性的な消費行動とは180度反対の、情緒・感性的な意思決定による消費行動論を前提としたニューロ・マーケティングの関心は、消費者自身が無意識に魅かれ、手を伸ばしてしまうような発動スイッチを探る手段が中心となる。そして、消費者が思わず買いたくなるようなツボを刺激して、購入精度を高めるための技術を開発することに主眼をおく。

 

 

ニューロ・マーケティングと「偶有性」

 

こうした "ツボ"ついては今後とも取り上げていくことになるが、さしあたって、脳科学者茂木健一郎が提唱する「偶有性」についてふれておく。

 

偶有性(contingency)とは、辞書的にいえば「AではなくBでもありえた/BでもありえたのにAである」こと、茂木の解釈では1「半ば偶然に、半ば必然に起こる」、2「ある程度は予想がつくが、最終的には何がおきるかわからない」、3「完全に予想することはできないが、ある程度の脈絡がある」、4「偶然と必然の間の微妙な「あわい」の領域」としている。

 

茂木は脳機能の特徴である「偶有性への適応」に注目する。偶有性は予測できることとできないことが混在した不確定な状態だが、脳はそうした偶有性に対して「オープン・エンド性」――変化に適応するための学習をどこまでも続けてしまう性質――を持っている。

 

また、人間の感情の内、生存活路の模索に通じる感情である「不安」や、新たな活路発見のきっかけの感情である「後悔」といったものは、「不確実性」あるいは「偶有性」があるために生まれる。経済活動や消費活動を支える「欲望」も、この偶有性によりかき立てられるという。他方、脳の「オープン・エンド性」は偶有性に適応するために学習するが、このとき、脳は快楽回路を作動し"喜び"を感じさせる。そこで、脳の喜びを刺激するような偶有性を商品やビジネスモデルの中に組み込むことで、より大きな成功を得られる可能性が生じる。茂木はそこにニューロ・マーケティングの方向性を見出そうとしている。

 

先に"主流派マーケティング"がWebマーケティングで効果的だとしたが、茂木によれば、Webのメディアこそ規則性と不確実性が混在する偶有性に満ちたフィールドであり、ネット中毒や依存症、あるいはネット用語でいう「炎上」などが社会問題化しているように、人がネット・アクセスする際のデータ量(トラフィック)の決定には脳内報酬系、すなわちドーパミン分泌が大きくかかわっている。だから、ネット広告やクロス・メディアをはじめとしたWebマーケティングの世界は、むしろニューロ・マーケティングのほうが有効なのだ、とする。

 

また、コンテクスト・マーケティングやマーチャンダイジングに偶有性を仕込み、"萌え"を誘発するようなことも考えられるかも知れない。

 

消費者心理を把握することはマーケティングの基本だとしても、人の心を科学的に読みとることがどこまで可能か、将来的に可能なのかは分からないし、過剰な期待をするつもりもない。

 

また、ある経験から生じる統合された感情(感動・印象など)を、神経活動から考えたとして、それがどういう意味を持つことになるのかは、今のところでは分からない。 

 

さらに人の精神領域や思考のメカニズムが"科学的"に解明されることが良いのか悪いのかも分からない。(このあたりを論ずる「神経倫理学(Neuroethics)」の研究が近年来活発である)

 

しかし、感動と経済、あるいはビジネス・リソースを考えていく上でも、これらの分野や動向から目を離すわけにはいかないことであるのは、確かだろう。

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今回は"特別編"ということで、もともと計画していた連載順序とは異なる話題となったが、いずれ掘り下げる必要のあるテーマとなろうから、その手習い始めとする。

 

次回は本来の順序にもどして、感動・感情の心脳の仕組みのうち、「心」すなわち心理学からの見解についてふれていくことにする。

(・・・・to be continued