感動体験の原型(1)

 

感動共有と"ハレ"空間

 

感動には個人的・主観的な価値として表出するものと、他人との快感覚の共有が可能なものがある。

 

前者では、より深いものでいうならば自己実現的な体験ともいうべき感動である。生き甲斐や充実感、あるいは自分を超越した事物への畏敬や一体感など、美意識・倫理・信条的な価値基準との照らし合わせから生じた感情を感受する体験で、他人とはなかなか共感し難いものがある。

 

対して後者は、身体的、知的、社会的な欲求を満足する共有体験や、追体験あるいは疑似体験などによる共感として生じる感動である。ここでは後者に焦点を絞り、そうした感動が発現する基本的なシステムについてみていこうと思う。

 

感動の源泉の一つとして、快感を生み出す報酬系という脳内システムがあることは前にふれたが、快感はモルヒネや覚せい剤といった向精神物質以外に、特に人の場合は情報刺激からも強い快感が誘発される。

 

もちろん芸術体験での感動はその典型だが、感動の集団体験として最もイメージし易い原初的なモデルは、儀礼や祭りといった"ハレの場"での、造形物、音楽、音響、照明、演技、舞踊、香りなどの感覚情報から誘発される変性意識状態、とりわけ、エクスタシー(Ecstasy)やトランス(trance)といった、恍惚、陶酔、忘我する強烈な快感体験だろう。

 

エクスタシーとは、「意識水準が低下して主体的な意志による行動の自由を失い、忘我状態となるか、苦悶、歓喜、憂愁などの気分を伴う恍惚状態になること。宗教における神秘的体験や、性的恍惚感も含む。(出典:世界大百科事典)」であり、トランスは、「意識の変容による異常精神状態をいう。催眠によって表面の意識が消失し、心の内部の自律的な思考や感情があらわれる場合や、ヒステリー、カタレプシーによる意識の消失、狐やその他の霊に憑かれたとされるとき、または外界との接触を絶つ宗教的修行による忘我・法悦状態などを指す。(出典:同上)」状態のことである。

 

だから、感動の古語「感ける(カマケル)」の活用語である「感けわざ」が、神に捧げる豊作祈願の踊りのことなのを思い返すと、祭り・神事で誘発されたエクスタシーやトランス体験のような、自分では理解できない神秘的な力に導かれもたらされる快楽の心の働きを、古人たちは「感動」としたのだろう。

 

あらゆる国、あらゆる民俗の祭りや神事の多くは、農作業や季節の区切りとして宗教的な意味合いの下に開催される。

 

文化人類学や宗教社会学などが教えるところでは、共同体における祝祭の機能を聖中心性、非日常性、共同性、周期性、儀事性としている。そして、ある周期で繰り返される宗教的な儀式・共同作業を通じて共同体をひとつにまとめることを特質とする。

 

祝祭の儀式や演出を通じて、人びとは普段意識して感ずることのない共同体への一体感や神話の再現などの超越感を持つ。神話の再現、儀事の一環として、カーニバルのような身分等の社会秩序からの一時的開放、または歌垣やデオニュソス祭のような性的オルギアを伴う祝祭は多く、日常では得られない開放感が体感される。

 

なぜ人間は祝祭を需要するのか。つまりそれは、日常の中に娯楽のない前近代社会では定期的な祝祭に向けて余剰なエネルギーや資源をぶつけ昇華(蕩尽)させる。それにより日々の暮らしの中に緊張の緩急がつき、また共同体全体に活力を与えられる、とするのが経済人類学の見解である。ブラジルのサンバ・カーニバルで一年間の蓄えを全て使い切り、来年のサンバ・カーニバルに向けて一年かけて貯蓄しなおす人びとが依然として多いことや、日本の諏訪の御柱祭りでも地元の人たちは次の開催に備え「御柱貯金」の風習があることなどは、その好例である。

 

このように、祭りや儀礼は強い快楽のるつぼであるとともに、日常→非日常→日常・・・を循環することで、共同体を結束する要として機能する。祝祭の構造をおさえながら感動(=強烈な快感)体験を誘起する要因をみていくことにする。

 

感動装置としての祭り

 

改めていえば、現代社会をコントロールする基本原理は法律だが、伝統的な社会では習わしや祭り・儀礼が共同体に秩序や結束をもたらし、円滑な社会運営に大きく機能している。

 

分野を越境する科学者でありパフォーマンス集団芸能山城組も主宰する大橋力氏は、日本や東南アジアの水神祭りの研究にシステム工学の考え方を導入し、祭りの運営組織と水の利権分配組織が縦糸と横糸のように交叉構成する祭り仲間という結束の仕組みに、一帯地域の水争いを抑制しているメカニズムがあることを見つけた。その中核をなすのが「神々と祭り」で、神々への畏敬の念と人びとに陶酔的な快感をもたらす祭り空間がアメとムチとなって、人心をコントロールする共同体秩序の制御システムとダイナミズムに富んだ社会運営を、持続的に生み支えている働きを明らかにしたのである。

 

その上で大橋たちは、祭りを構成するさまざまなコンテンツや仕掛けから生じる感覚情報が、祭人たちに恍惚、陶酔、忘我といった強烈な快感体験を誘起することにも注目した。

 

祭司や祭り演者に負荷を与えない無線による脳波や内分泌系の計測を行なったところ、トランス状態になった人は、脳波と血中の生理活性物質が特異なほど活性していることが分かった。快の指標である脳波α波が劇的に増加すると同時に、ドーパミンやβエンドルフィンといった、いわゆる「脳内麻薬」が血中へ大量放出されることが確認されたのである。

 

それでは、祭り空間でこうした快感を誘起する感覚刺激の情報パターンには、どのようなものがあるのだろうか。そこで、快感誘起する感覚情報を拾い出してみることにする。

 

"祭り"の目的は、俗界にある人間を聖なる高みへ昇らせることであり、それゆえ俗情を捨てさせて無私忘我の境地に至らせるところにある。そしてそれを構成する基本要素は、おおむね次のものである。

◆シナリオ → 習わしや掟

◆時 間 → 時季、夕刻、夜

◆空 間 → 祭 場

◆モノ → 祭具・祭人

ひとつめとなる"シナリオ"は、伝統的世界観を基礎づける聖典や神話を準拠枠に作られ伝承される因習・戒律、つまり"習わしや掟"であり、それがそのまま聖典や神話的世界の再現やそれらの追体験への没入を誘導する演出マニュアルともなっている。

 

次の"時間"は、その準拠枠に因んだ時日や異界としての夜、あるいは黄昏(逢魔ヶ時)のような曖昧な時間帯、いわば俗界が聖界に向けて満潮や上げ潮になる頃を設定し、聖俗境界を次第に不鮮明にしながら俗意識から分断するとともに、非俗的世界を出現させる。

 

 "空間"としては、俗界から地理的に離れるか結界するなどして聖俗空間の分離をはかる。あわせて"モノ"である祭具や装飾造形物、音楽、音響、照明、演技、舞踊、香りなどの感覚情報がポリフォニックに作動して一帯環境を変性させる演出が加わる。

 

要するに、通常感覚を遮断することで"ハレ"状況への没入を誘導するのである。すなわち、祭人たちを過度の錯乱や興奮状態へ陥らせ心身ストレスを高めることで、脳内代謝として脳内麻薬の分泌を促進し恍惚、陶酔、忘我に至らせる。

 

アルコールやスパイス、麻薬といった向精神物質を除くと、この際、祭人たちにトランスやエクスタシー体験といった強烈な快感を誘う感覚情報としては、次のようなものがある。

 

なお、前回で取り上げた感動を誘う要素(血を騒がせるもの)を想起しながらみてもらえるとありがたい。

 

【視覚の快感誘起情報】

 

視覚に対する快感誘起情報パターンは、強い色彩のコントラスト、模様、原色、金属色や反射素材の使用、光の揺らぎ、光の点滅、暗転などである。

 

また、一帯環境を演出する造形物が醸し出す印象、あるいは錯視効果をもたらす形状や配置からの空間感覚の異様なども含む。

 

大橋は加えて、視覚刺激の重要要素に仮面を挙げている。仮面はデザイン表現に先の視覚刺激要素をまとわせながら、動物行動学でいう"威嚇の表情"をとる場合が少なくないという。

 

威嚇のディスプレイは、身体をできる限り大きく見せ、目と歯をむき出しにし、人やサルならば顔に血を昇らせて真っ赤になる。動物行動学では、威嚇の表情は怒りと恐怖が釣り合った情動の状態と解釈する。

 

大橋によると、アジア・太平洋圏では地域を問わず多くの場合に、祭りのクライマックスなると威嚇表情の獅子や鬼の仮面が登場するという。

 

怒りと恐怖は、その対象が"闘争か逃走か(fight or flight)"のいずれの存在なのかの確定により識別される原初的情動である。以前に取り上げた感情ロボット「WE-4RII」の心理モデルでは、この判断のために「確信-不確信」の軸を設けていることを思い返してもらいたい。

とすれば、威嚇表情の仮面は、アモルファスな心的状態を象徴して外在化したものであり、場をめくるめく錯乱空間として彩り綾なす造形や色・光の効果演出とともに、"感情を宙吊り状態"にして祭人たちの忘我を誘起する情報発信源の一つといえる。

 

【聴覚の快感誘起情報】

 

心拍や呼吸など生体には一定のリズムがある。聴覚に対する快感誘起要素として、生体リズムの変化を誘発する音のリズムがある。

 

たとえば、ディスコ・サウンドなど現代のダンサブルな音楽は16ビートであり、それは世界の祝祭芸能の多くにみられる。また、音楽の最も古いかたちを伝えているとされるアフリカン・ピグミーのポリフォニーも16ビートを基本とし、日本古典芸能の能にも16ビートの構造が確認できるという。16ビートのリズムには人の快感誘起要素として普遍性があるとみなせる。

 

音楽家の間では一般的に、ドラムの低音は、精神の高揚とともに人間が地に足をつける安心感を表現し、高音は、前進する気持ちとある種の苛立ちのような"煽り"の感覚を伴ない、高音の連打は人間の闘争心を高揚させるという。

 

また、音の快感誘起成分としては、人間の可聴域上限をこえる超高周波が注目されている。人の可聴域は15から20kHzだが、それを超えた超高周波成分を含んだ複雑変化する音が脳内の報酬系を活性化する、ハイパーソニック・エフェクト(Hypersonic Effect)という現象が知られている。

 

ハイパーソニック・エフェクトの効果として、脳の特定領野の血流増大、脳波α波の増強、免疫活性の上昇、ストレス性ホルモンの減少、音の快適な受容の誘起、音をより大きく聴く行動の誘導などが確認されている。

 

たとえば、独特な金属音が特徴のガムラン音楽や能楽器の能菅は100kHzの音成分を含み、コーラスや仏教儀式での声明なども瞬間的に50kHzに達するといわれる。他にも超高周波成分を含む音楽は、世界の伝統的な祝祭芸能にはよく見られるともいう。

 

これらが癒し音楽とされるのは、ハイパーソニック・エフェクトの影響が大きいためといわれる。

 

また、ポリフォニック・サウンドやビブラートなどにみられる周期・非周期振動の音の他"ゆらぎ構造の音(1/fゆらぎ)"も注目されており実験研究が続けられている。

 

【触覚の快感誘起情報】

 

ハイパーソニック・エフェクトは聴覚刺激だが、実のところ超高周波振動を感受しているのは、耳ではなく体表面であることが明らかになっている。また重低音のボディソニック効果なども、実際には触覚体感情報である。

 

ついで、祝祭パフォーマンスに特有の祭具や装束による身体への過剰な負荷という面も快感誘起要素として挙げることができる。

 

たとえば、祭りで用いる重厚な仮面・儀礼装束・装身祭具などは、往々にして激しい踊りや演技をするにしては身体の拘束性や負荷が大きい仕様であり、それにより引き起こされる過呼吸からの血中酸素濃度の急激低下などはトランス状態を誘起しやすく働く。

 

その他、触覚については、踊りなどでの肌の触れ合いや、熱気、人いきれ、といった祝祭空間ならではのアトモスフェアな体感情報があり、祭司や演者・踊り手などが状況を盛り上げてその場にいる者をことごとく、「引き込み誘導」で精神高揚を周囲に伝播するような働きもあるだろう。

 

【"場"自体の快感誘起情報】

 

祭りの時空間を感動メディア装置とみた場合、なぜそこに人は集まるのか、何をもとめて群れ集うのか。

 

人は群れ集うことに"快"を感じる本性を備えている。それはおそらく人間の社会的動物としての本能的衝動にもとづくのだろう。祭りや遊園地、デパート、コンサート会場などの集客空間、群衆の溜まり場の人ごみや雑踏にもまれた後、人は興奮の余韻や心地よい疲労感に包まれる。

 

また、バーゲン会場や展示会の混雑の場合では、欲しかったモノや情報を獲得する充実があるだろうし、異性や限定品をゲットする期待による興奮もあるだろうが、大勢の人間の間にもみくちゃにされ、緊張し、興奮と眩暈におそわれた際の軽いエクスタシーをもとめる。いいかえれば、"その場の雰囲気に酔う快感"があり、それをもとめて、あるいは他人に遅れまいと競って、そうした時空間に参入しようとする衝動も確かにあるようだ。

 

人が群れ集うことに必ず興奮や陶酔感がともなうのは、そこに日常生活からは得られない特異な経験を得るべく、われを忘れてその時空間へ一心不乱に完全没入する快楽を得たい、とする欲求があるからのようにも思える。

 

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次回は、感動体験の原型その2として、個人的・主観的な感動体験の極みである「至高体験(Peak experience)」についてふれてみようと思う。

(・・・・to be continued