歌詠みは 下手こそよけれ あめつちの 動き出してたまるものかは
江戸時代の狂歌師宿屋飯盛は、感動を詠むのが神技の域になれば、天地も動かす、とした「古今集」の大げさな気概を、こうからかっています。
「感動のチカラ」のタイトルのもと、今の世の中の、"感じて動くこと"のいくつかを見てきたのは、感動力からの社会創造!などといった大層な目論見からではありません。ただ気になったのです、「感動」が...。
というのも、いつからか、世の中が"感動シンドローム"と思えるほど、「感動」という言葉の使用頻度が高まってきたように感じられたからです。もちろん、ブログやSNSなどで誰もが容易に公言できる場が増えたこともあるでしょうが、少し前から、感動しやすい/したがる人たちが増えて、世の中の感情表出のあり方も変わったような印象があったのです。だから、2003年に三菱総研が試算した「感動市場規模五兆円/年」には、ちょっとした驚きがありました。それだけ感動したい人たちがいるのです。
また、2011年の東日本大震災後の感動と共感の連鎖が、多大で迅速な復旧復興支援の力をもたらしたことには、社会と生活意識における今後の変容が予感されました。「感動のチカラ」ということを意識したきっかけは、この辺にあります。感動は個人感情なので、どれが本物で、どれが偽物かを問うのは余計なお世話でしょう。しかし、その渇望の高まりには何らかの背景状況があり、また、それは何かしら世の中に影響を与えているのではないか。だとしたら、それはどのように表れているのか。そんな疑問のもと、目についたり気になったりしたいくつかを拾ってみたのが、これです。軽く目を通してもらえればお分かりのように、この小冊子は、すぐに役立つハウツー本ではないし、ウンチク本にしては浅薄です。
では、何のためのものなのか、と問われれば、この小冊子が、似たようなことをなんとなく思っていた方がたにとって、好奇心を掻き立てる弾みになり、ちょっとした誘い水となって、「感動のチカラ」について一緒に思いを巡らせてもらえて、さまざまな見識や意見を寄せて下さるきっかけになればいいな、と思ったからです。
どうぞ皆さま、よろしくお願いします。