感動したときに「身震いした」とか「鳥肌が立った」などという場合は多いのですが、感動はポジティブなことなのに「大笑いしてしまった」とか「踊りだしてしまった」といわないのはどうしてでしょう。
感情を表す英語"emotion"は、動く、行動する、を意味するラテン語の"emovere"を語源とします。それでいけば、特定の行動を動機づけるのが感情です。なのになぜ、感動が不安や恐怖など不快な感情が相応しい身体表現で語られるのでしょうか。
それは感動の多くが驚きにより発動されるからです。
驚きは、動物が予期しない事態を体験したときに起こる感情以前の本能的反応です。驚いた動物は瞬間的なパニックになり、体内では交感神経が興奮・緊張してアドレナリンが血中放出され、瞳孔を開き、鳥肌を立て、心拍数を増し血圧を上げ循環系が活発になります。つまり咄嗟に「闘争or逃走」の身体的準備をするのです。
そして危機事態なら驚きは恐怖・怒り・悲しみなどのネガティブ感情に変化し、危険と結びつかなければ喜びや快楽へ変化します。ポジティブな情動変化が感動で、生理的な興奮・緊張が心理に先行するから鳥肌や身震いなどの身体反応が起こるのです。左は感情の構造を図示したものです。(図C)
臨戦態勢の心身が活路を判断しストレス状況から脱した瞬間に快方向に転換し、幸福、安堵、満足といった気分が湧き起こって感慨が深まる、これが感動です。
感動は極度な興奮・緊張で受けた生理的ダメージを減少させ、また、緊張緩和から心身に余裕をもたらします。そのため恐怖や怒りにつながらない驚きは、視野を広げ好奇心を引き起こします。ネガティブな感情は対峙している状況での保身に集中するあまり自閉的な思考と視野になりがちですが、ポジティブな感情にはより幅広く自分のまわりに注意を払い、新しい情報を得ようとする心を開放し覚醒へつなぐ作用があります。
喜び、満足、幸福、あるいはリラックス、安らぎなど快楽につながる驚き体験である感動が、個人の考え方と視野を幅広くして探究心、発見、学習を促し、他者や周囲を受け入れ、人格的成長をもたらす。このことが、人間が社会をつくり、文化をひらき、文明を築いてきた動因となったのです。
「学びは驚きに始まる」とか「驚きの心(sense of Wonder)が独創を育てる」といいますが、閉そく感が蔓延していると見受けられがちな今日であればこそ、身が震える感動のリアル体験について大いに関心を向ける必要があるのではないでしょうか。